紀州漆器の中心産地である和歌山県海南市黒江より、紀州漆器を通信販売にてお届けするサイトです。お椀や重箱、菓子鉢など多くの種類の製品を取り扱っています。
手ごろな値段でも高品質と評判の紀州漆器は、御祝いや内祝いギフトとしてはもちろん、海外へのお土産品にも多く選ばれています。海外へのお土産には「お重(jubako)」「お椀(bowl)」「お盆(tray)」「弁当箱(lunch box)」などの人気が高くなっています。
紀州漆器は、山中漆器や会津漆器と共に「日本三大漆器」に数えられています。
石川県の輪島塗も和歌山がルーツと言われており、古くから多くの職人を輩出してきた伝統のある生産地です。
紀州漆器の歴史は古く、室町時代より作られています。
椀や膳、盆など一般家庭用の生活用具もこの頃から生産されています。
江戸時代には1200軒以上の漆器関係者が黒江周辺に住んでいました。今でも同じように黒江地区では多くの人が漆器に関わる仕事に就き、もの作りの精神は現代でも変わらず継承されています。
さらに昭和53年には国から「伝統的工芸品」に指定され、紀州漆器の歴史や功績が認められました。
紀州漆器の中心生産地は、和歌山県海南市黒江地区です。
海に面する温暖な黒江地区は、漆の硬化に適当な湿度を持つなど漆器生産に適した気候であったことから漆器産業が栄えてきました。
海南市黒江では室町時代よりの伝統に加え、職人の長年の努力により受け継がれてきた技が国内外から高い評価を得ており、日本の中でも一大生産地となりました。
近年では高級漆器はもちろん、日常的に使いやすい"暮らしの道具(普及品)"として生産体制を整え、「お椀」や「弁当箱」などを数多く製造できるようになりました。お手頃な価格で食卓に紀州漆器を並べていただけるようになり、海外への輸出も増えてきています。
歴史のある和歌山県海南市黒江を中心とした地域で生産されている紀州漆器は、伝統を守り抜く決意のある職人も多く、国内随一の漆器生産地としてのこだわりを持って生産しています。仕上がりも一定で、安心して贈り物に使うことができます。
晴れの日の道具として親しまれてきた漆器は、同じ価格帯の西洋食器と比べると存在感があり、見た目はとても華やかです。漆器の表面に蒔絵が施されたものはさらに芸術的で高級感があります。
紀州漆器は他の産地にはない徹底的な分業制を進めており、それぞれの工程の職人技を手ごろな価格の製品にも反映しています。
職人の手により丁寧に仕上げられた漆器は、塗りのなめらかな手触りや素材のあたたかみが感じられ、普段の食事をワンランク上質なものにしてくれます。
漆器の落ち着いた色合いや艶は、どんな年齢の人にも親しみや落ち着きを与えます。また、紀州漆器は奇をてらわない伝統的なデザインを今も保持していることから、年配の方には懐かしさを、若い方にはリラクゼーションやモダン感を伝えられます。
どなたの目にも"正統派"の塗り物と感じられるものですので、おもてなしやギフトに、御祝いの席でも安心して使っていただけます。
トラディショナルでアーティスティックであるとして、漆器は外国の方に大変喜ばれています。
日本以外ではあまり漆器が生産されていなかったため「漆器=Japan」のイメージが大変強いです。中国やタイなどで作られる漆器もありますが、品質の面から日本製が喜ばれています。
海外の方へのギフトやお土産として、ぜひ伝統ある紀州漆器をお選びください。
漆器は英語で「Lacquer ware」と呼ばれます。
ドイツ語では「Lackware」です。
また、陶磁器が"China(チャイナ)"と呼ばれるのと同じように、漆器は"Japan(ジャパン)"と呼ばれる場合もあります。これは漆器が日本のものというイメージが強いためですが、商品名としては「Lacquer ware」が一般的です。
アメリカで人気の漆器は、食卓で使えるキッチングッズです。
アメリカでは日常的に使える漆器が好まれるようです。
ヨーロッパで人気の漆器は、飾って楽しめるインテリア用品です。
ヨーロッパでは目で楽しめる美しい雑貨アイテムが好まれるようです。
アメリカ、ヨーロッパ共に、「日本」を感じられる漆器はとても喜ばれています。お土産に迷ったときはぜひ漆器をお選び下さい。
当サイトは、紀州漆器協同組合の公式通販サイトです。
和歌山県海南市黒江より、全国へ紀州漆器の販売を行っています。
組合では漆器販売の他、毎年11月に全国から5万人以上を集客する「紀州漆器まつり」を開催しています。組合にも120年以上の歴史があり、紀州漆器の伝統を守り普及させる役割を長年担っています。
当サイトは、紀州漆器協同組合が厳選した、紀州漆器の『本物の逸品』を取り扱っておりますので、ご安心の元お買い求めくださいませ。
根来寺根来塗
この季節にぴったりな商品をご用意しました
鎌倉期から南北朝時代にかけて隆盛を極めた紀伊国の一乗山大伝法院根来寺(現在の和歌山県岩出市根来)では、数千人にも上る僧たちが日常に使う什器を主として、数多くの漆器を作っていました。 その中でも、赤い漆で塗られた漆器は丈夫で美しく使いやすい良質のものでした。 これらが一般的に根来塗と言われています。その後、天正13年(1585)豊臣秀吉の根来攻めにより、大塔・大師堂などの建物を残し猛火に焼かれ工人たちは散り散りになり、和歌山県の海南黒江や輪島、書写山(兵庫県姫路市)に行き着いて、根来塗の技法を伝えたとも言われています。
一覧を見る